RUiの闘病日記

私の真実…(ノンフィクション)

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前日記の続きのような日記

例の精神疾患者アカウントさんのスペースに参加した

この人も日々、正論や誹謗中傷なDMがくるらしい

 

彼の言葉を聞きメモしてそれに自分の気持ちを書く感じになるけど

 

 

人からの、正論・誹謗中傷はいらない

でもそういうのがくるのは仕方ないんだろなと思ってるけど

それを受け取って、悪化した時誰も責任とってくれないじゃない、だからブロックしてる

ブロックは予防線だと思う

 

めっちゃくちゃ分かる

価値観でさえ人それぞれなのに、まして同じ境遇でもないのに正論やら中傷やらぶつけられましても

例えば、自分が愚痴こぼしたくて仕方ない時とか正論であっさり受け流されたらどう感じる?素直にそうだね、で全部終わらせられるのかな、とか

正論で片付けられないことなんてたくさんあるのに

正論=大人ではないと思う

時に人の心を抉る言葉

この日記にも書いてあるけど、人とまさかなトラブルがあって、その時受けた心ない言動や理不尽の数々で病気になってしまった

でもその病気で生活に支障出ようが仕事もまともにできなかろうが、悪化してよからぬことになろうが誰も責任とってくれるわけではない。匿名は特にそう

事故で手足をなくした、とかなら賠償とかなるんだろうけど、それで手足が返ってくるわけではない

その人の人生に大きな支障を出したことに変わりない

私も一度いらんことはしましたけどね…バカな自分よ

匿名をよこさないでとは言わないけど、理解してくれとも言わないけど

せめて普通にしててほしいと思う

ボロカスに言いたいだけなら放っておいてほしい

申し訳ないけど私も自衛として見たら悪化すると判断したものは見えないようにしてる

ブロックしても捨て垢でこられたら意味ないから困るよね…

 

 

 

Twitterって、よく「あ、これ自分のことかな?」って思っちゃうことあるよね

でも見ちゃうと受けとっちゃうんだよね

 

Twitterでぐらい、胸の内吐かせてほしい

そんな自分のツイートにリプとかくるとすごく嬉しいよね

あ、いいんだって思える。受け入れてもらったような

 

 

きっとそういう人多いよね

迷惑と自由の境界線がほんとに分からない、難しい

でもいつから周りばかり気にしていかなきゃいけないような時代になったのか、とは思う

誰がそれを正しい間違ってるを、正解を判断するのか

皆聖人君子なのか?間違ったこと一度もないのか?

節度とモラルも大事なのは勿論分かってるけど、うまく言えないんだけど

結局、価値観の相違

私は教科書のようには生きれないよ

リプは本当にもらえたら嬉しい(誹謗中傷・暴言とかなしで)

まぁ普段から殆どないけどもね笑

 

 

 

精神疾患でしんどくても仕事しなきゃ、お金を稼がなきゃいけない

無理しなきゃいけないんだよね

 

周りと同じようにできないと辛いよね

 

激しく同意としか言えなかった…

 

 

何かのせいにすることで自分を保てるならいいと思う、周りは言い訳とか言うかもしれないけど

 

そんな時ってあると思う

その〝何か〟は大事なところだけども

 

 

鬱病って甘えられなかった人がなるとかいうけど、甘えるって何ってなる

甘えたら甘えたで、何か言われるし、難しいよね

自分に優しくが分からない

 

またしても激しく同意

人に優しくは分かるのに、自分に優しくは未だに分からない

 

 

気持ちが不安定な時に正論とか誹謗中傷もらうと気にしちゃうんだよね

普通の時に言われたら、気にせずブロックで済むのかもしれないけど

自分に負い目を感じてる時に言われると、Twitterに自分はいちゃいけないのかなって思う

自分が子供なだけかもしれないけど

 

自分を否定され続けると、ああ自分っていらないんだってほんとになる

こんな自分でごめんなさい、生きててごめんなさいって

相手は否定するけど自分が否定されたらキレる人多かったな

いとも簡単に出来事を都合よくなかったことにもするし…

 

 

(コメント読んで)

乗り越えたんだね、よかった

外出れたんだね、よかった

〝誹謗中傷なんて気にしないでね〟それが無理なんだよ

 

この人は同じ目線で言ってくれる

精神疾患で普通にはない辛さを知ってるから、できない辛さを知ってるから

 

リスナーが辛いけど言えないこと、理解されなくて言えないことを普通に言わせてくれる場所

聞いて受け止めてくれる場所

そして絶対使わない言葉〝頑張って〟

それがただ錘にしかならないことを知ってるから

 

この人にとってはスペースを〝日記〟として使ってるらしい

私と同じだ、この日記が私にとっては大事な生命線なのだ

晒しだ、誹謗中傷だ、被害者ぶりだとたくさん匿名いただきましたけど

ここが私にとっての唯一の居場所なのだ

辛かった自分、バカやった自分、短くも好きと言われていた自分、嫌われる自分、全部生きてた証

自分らしくいられる場所

空しいね、可哀想だね、寂しいやつだねと罵られようが

この日記があったから今まだ生きている

生きれている

 

 

そして最後に

今日まで生きてくれてありがと、と言う彼

その言葉が嬉しすぎた、きっと他のリスナーさんもそうだろう

今回も本当にたくさんのリスナーが来ていた

TwitterYouTubeのようだ

 

この日記いつも重たいですね、なんて思われてるかもしれないけど

明るい話題しなさいよと思われるかもしれないけど

 

ただ今日生きることに必死な一般人の日記(万が一の遺書)です

 

私の思いや経験を残す、生きた証です