今年、たまたま見つけた、数万フォロワーもいる同じ病気のアカウントさん
最近彼のスペースに参加している、喋ってるのは彼だけで後はコメントかDMらしい
彼の言葉を聞きながらコメントを読んでいると
私と同じように苦しんでいて、恋人も友達もなくして、毎日を〝生きる〟ことに精一杯で
辛くて
泣きながら仕事や学校へ行く人
不登校している人
精神疾患の人
そんな人達が集まって聞いている
みな、現実はシビアであることを痛感していて
彼もたまに、心ないDMがくるらしい
舐め合いなどではなく
彼は勿論、参加してる人達が共感できる場所としてお互いの話を聞いている
共感してくれることも勿論嬉しい
けど何よりも、話を聞いてくれることが嬉しい
叫びたくなる胸の内を
誰かに聞いてほしい…
それは不幸自慢とか可哀想な自分とかそういう思考はない
こんな病気になってしまった自分を受け入れてほしいだけなのだと
彼も聞いてくれてありがとう、と何度も言う
例えば、突然ガンになった
事故で手足を失った
その辛さ、生きづらさ、普通の生活ができない自分、悔しさ
体現しなければ分かるわけがない
中には現実を受け止めて明るく楽しく過ごしている人もいるだろう
私の知り合いのおばちゃんに目の見えない人がいるけど、毎日楽しそうだ
でもそれまでにどれだけ涙を流しただろう
娘の花嫁姿が見れなくて、中学の頃(多分まだ見えていた頃)の自分にドレスを着せてください、それが今の私ですと、結婚式で言った娘
そこにいた皆涙を流していた
おばちゃんは確かめるように何度もドレスを触った
病状にもよるが、現実を受け入れて明るくしていようと、必ず常に理不尽が自分の身体を蝕んでる
もしかしたら、誰もいないところで泣いているのかもしれない
以前こんな匿名をいただいた
「自分も精神疾患もちですが、誰も離れていったりしてません。病気を攻撃的に使わないからだと皆は言います」
それは相当周りの人達に恵まれてるんだと思った
同じ病気で大切な人が離れて失った、という人の方がよく見かける
スペースの彼も全部失った人だ
話を聞いてくれる人がいる、仲良くしてくれる友達がいる
受け入れてくれる人がいる
支えてくれる人がいる
それが多分何より嬉しいことだと思う
それが少しでも頑張ろうと思える糧になる、生きる糧になる
失ったからこそ、その存在の大切さが痛いほど分かる
もう2度と戻ってこない…思い出だけど思い出せば辛い思い出
私自身も攻撃的に病気の話をしてるつもりはない
感情を吐き出してそう捉えられる書き方はしたかもしれないが
辛くて、理不尽に耐えられずに吐き出してしまう
自分の身体なのに…
どうして自分だけっ!なんて考えてしまっても不思議ない
だからこそ、彼のスペースは自分だけではない、同じような辛さを今抱えてる人がいると知れる場所
1人じゃないよ、と
本当に何が辛いかなんて人それぞれだ
そこに正論や綺麗事は、とてもキズに響く
周りに恵まれてるなんてそれはとても幸せ者だと思う
どうして生きてるんだろう、そう思いながら毎日を過ごす人もいるのだから
皆が皆、恵まれてるわけじゃない
健康な人から見れば
甘えてるから、言い訳、鬱陶しい
そんな風に言う人もいる
昔パニック障害になった時、その時の友達に面倒と言われ、彼氏には〝治す気がない〟と簡単にフラれたのは懐かしい記憶
周りから許されない自分
恵まれてる人を見ると凄まじく羨ましく思う
私は、ああここが自分のいていい場所だと思えるものがない
一昨年までは、這い上がって頑張って新しくまた頑張ろうってしてたけど
今はその気力が湧かない
なんというか…疲れてしまって…気がついたら歳だけとっていて
八方美人でも気さくな性格でもない
恋愛に発展するほど好きと言われ、嫌いと言われて終わる。私は誰かにとって失いたくない人間ではない
毎日、私ってなんなんだろうと思いながら過ごす
何のためにいるんだろう…
今までの〝大事〟ってなんだったんだろう
何を信じたらいいんだろう…本当に分からなくなった
嬉しい言葉をくれたら涙は出るのに、感情が全然実感してない感じ。初めての感覚
失礼なことだ
ただ誰かを心配することしかできない…
日記ではこんなことばかり書いているけど、普段家でこんなこと言ったりはしてない
ここだから、書くのだ
生きるって、 しんどいね
それでも 母には産んでくれてありがとうと思う
今まで短い間だけの友達だった人も
友達でいてくれたこと
好きと言ってくれたこと…
ありがとう…
一緒にいられたこと、少しは意味があっただろうか